高越山城跡(読み)たかこしやまじようあと

日本歴史地名大系 「高越山城跡」の解説

高越山城跡
たかこしやまじようあと

[現在地名]井原市東江原町・神代

旧山陽道の北側、東江原ひがしえばら町・神代こうじろ町境の高越山(一七二・六メートル)の頂部にある。上下二壇の主郭に、南西南東北西に突出部(郭)のある変形回字形縄張りで、主郭下壇部(約二八×約三八メートル)の中央やや北側に上壇部(一八・五×一四・二メートル)が設けられている。弘安四年(一二八一)蒙古襲来に備え、山陽道堅固のために宇都宮貞綱が築城したと伝えるが(「備中府志」など)、詳細は不明。観応の擾乱に際しては足利尊氏配下の岩松頼宥が当城を攻撃、観応二年(一三五一)一〇月二九日より足利直冬勢と度度合戦に及んでいる(正平六年一二月一九日「岩松頼宥感状」三吉鼓文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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