高野井(読み)たかのゆ

日本歴史地名大系 「高野井」の解説

高野井
たかのゆ

[現在地名]一志町高野

高岡たかおか山上堰守いもり神社旧跡の西麓雲出くもず川に面した岩壁に「一ノ筒」と刻んだ文字が残っており、高野井がここを起点にして山沿いに水路を作ったもので、水路の取水口の溝が水底に没しているのがわかる。津藩主藤堂高次の頃、寛永年中(一六二四―四四)旱魃が続き、百姓たちは灌漑に苦しんだため、八太はた村の大庄屋田上八太夫は自ら発起人となり、一志郡奉行山中兵助為綱が自ら水路を調査し、高次に水路の変更を申請して八太夫と為綱の二人が正保二年(一六四五)三月に起工、八太夫を掛役人として八太村・高野村・片野かたの村・日置ひおき村・しよう村・その村・田尻たじり村、(現久居市)などの役人の総領役に任命し、幾多の辛酸を経て承応二年(一六五三)三月一五日に完成した(田上家文書「一志町史」所収)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報