高麗橋一丁目(読み)こうらいばしいつちようめ

日本歴史地名大系 「高麗橋一丁目」の解説

高麗橋一丁目
こうらいばしいつちようめ

[現在地名]東区高麗橋一―二丁目

今橋いまばし一丁目の南にあり、東は東横堀ひがしよこぼり川に架かる高麗橋で内両替うちりようがえ町に通ずる。「天保町鑑」に「高らいばし西詰より西へさかいすぢ迄、御やぐら有」とあり、東から一丁目筋・八百屋町やおやまち筋が南北に通る。東西に延びる両側町の高麗橋一―三丁目は、西は丼池どぶいけ筋を挟んで上人しようにん町に接する。「摂津名所図会」に「高麗橋筋一町目より西に呉服賈ふ市店多し」とあって、豪商三井をはじめとした呉服商および縫物屋などの多い通りであった。また延享版「難波丸綱目」によると二―三丁目には苧麻屋が集住した。丁目は不明だが、「浪華画人組合三幅対」に森雄仙・中村芳中・法眼周峰、「新刻浪華人物誌全」に儒学森川竹窓、絵師森雄仙、医師佐々木柳庵、「浪速諸流画人名家案内」に森雄仙、岸畑子長・石原玉潭、「浪花当時人名録」に茶道白神宗吾(藪之内流)、小鼓糟谷卯左衛門が載る。

高麗橋一丁目は明暦元年(一六五五)大坂三郷町絵図町名がみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む