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三井八郎右衛門 (みついはちろうえもん)
江戸時代の呉服・両替商,のちの財閥三井家の歴代当主通称の一つ。11家からなる三井家当主の通称は,各家・各当主個人に固定したものではなく,11家内で〈譲替え〉が行われていた。これは11家の家産共有制に由来するものとみられる。八郎右衛門は,呉服店や幕府御用の名前として使われて,内部的にも最重要な名前と意識され,一般にも最も通用した。歴代の八郎右衛門名前使用者は,北家2代高平(家法《宗竺遺書》,家伝記制定者),伊皿子家初代高富(店制度考案者),新町家初代高治(家法=商売記制定者),北家3代高房(《町人考見録》編者),新町家2代高方,北家4代高美,新町家3代高弥,伊皿子家3代高登,北家5代高清,同6代高祐,新町家5代高雅,同6代高満,北家8代高福(維新期中興の祖),同9代高朗,同10代高棟(財閥形成者),同11代高公である。近年は譲替えの習いはなく,個人に固定化の傾向にある。
執筆者:田中 康雄
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三井 八郎右衛門(15代目)
ミツイ ハチロウエモン
明治〜昭和期の実業家,男爵 三井総領家第10代当主;三井合名会社社長。
- 生年
- 安政4年1月14日(1857年)
- 没年
- 昭和23(1948)年2月9日
- 出生地
- 京都府
- 本名
- 三井 高棟(ミツイ タカミネ)
- 別名
- 法名=三井 宗恭(ミツイ ソウキョウ)
- 経歴
- 三井総領家(北家)第8代当主・高福の八男。明治5年アメリカへ留学し、7年帰国。三井経営陣に加わり、18年家督を相続し15代八郎右衛門を襲名。26年最高統轄機関として三井家同族会を設立し議長となる。29年男爵位を受爵。42年三井合名会社を設立し社長に就任。昭和8年辞任し、家督を嗣子高公にゆずり引退した。この間、三井総領家当主として三井同族11家をとりまとめるとともに、三井財閥の総帥として、大番頭益田孝、團琢磨らと名コンビをくみ、同財閥の発展を推進した。
三井 八郎右衛門(16代目)
ミツイ ハチロウエモン
大正・昭和期の実業家 三井総領家第11代当主;三井不動産名誉相談役;元・三井本社社長。
- 生年
- 明治28(1895)年8月3日
- 没年
- 平成4(1992)年11月13日
- 出生地
- 京都府
- 本名
- 三井 高公(ミツイ タカキミ)
- 学歴〔年〕
- 京都帝大法学部〔大正9年〕卒
- 経歴
- 三井総領家第10代当主・三井高棟(15代八郎右衛門)の二男。大正10年日本銀行に入行、13年ロンドンに留学。昭和4年帰国して三井合名に転じ社長秘書。8年家督を受け継ぎ、三井総元方(同族会)議長、三井合名(のち三井本社)社長となる。20年財閥解体で辞任、同年三井不動産相談役、49年名誉相談役に。この他三井記念病院評議員会長、三井報恩会理事、日本工業倶楽部理事、若葉会幼稚園名誉園長などを務める。旧男爵。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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「三井八郎右衛門」の意味・わかりやすい解説
三井八郎右衛門【みついはちろうえもん】
三井家を代表する世襲の名。三井高利の長男高平〔1653-1737〕が初代。総領家の当主が名乗るとは限らなかった。高平の子で《町人考見録》を著した高房〔1684-1748〕,三井財閥の基礎を築いた13代高福(たかよし)〔1808-1885〕,15代高棟(たかみね)〔1857-1948〕らが有名。1947年,16代高公のとき財閥解体。
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三井八郎右衛門
みついはちろうえもん
三井家の開祖三井高利 (1622~94) 以来の三井総領家代々の家長の呼び名。第1代高利から 1947年第 11代高公の代に三井財閥が解体されるまでほぼ 300年続いた。2代高平 (53~1737) ,3代高房 (1684~1748) ,8代高福 (1808~85) ,9代高朗 (37~94) ,10代高棟 (57~1948) らが有名。
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世界大百科事典(旧版)内の三井八郎右衛門の言及
【三井高福】より
…幕末・維新期に三井総領家の当主として活躍した商人・実業家。第13代[三井八郎右衛門]。高就(たかなり)の子として京都に生まれる。…
※「三井八郎右衛門」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」