鬼室神社(読み)きしつじんじや

日本歴史地名大系 「鬼室神社」の解説

鬼室神社
きしつじんじや

[現在地名]日野町小野

小野この集落の東にある。明治維新の際に軻遇突智かぐつち命を祭神として祀り、西宮にしのみや神社と号し、昭和三〇年(一九五五)に現社名に改めているが、江戸時代までは不動明王を安置する不動堂であった。社名の由来は本殿裏の石祠に高さ四八・五センチの八角形の宝珠状柱石が祀られ、これが百済からの渡来人鬼室集斯の墓であると文化三年(一八〇六)に西生懐忠らが発表したことによる。集斯は六六〇年の百済滅亡後、倭国の援助を得て、その復興運動の中心となった鬼室福信(義慈王の父武王の従子)の親族とみられ、「日本書紀」天智天皇八年(六六九)是歳条には「佐平余自信・佐平鬼室集斯等、男女七百余人を以て、近江国の蒲生郡に遷し居く」とあり、これより先、天智天皇四年二月是月条にも、「百済の百姓男女四百余人を以て、近江国の神崎郡に居く」とあるところから、集斯らの遷住は蒲生がもう神崎かんざき両郡の百済系遺民を統括する意味もあったとみられている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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