日本大百科全書(ニッポニカ) 「聖徳太子伝暦」の意味・わかりやすい解説
聖徳太子伝暦
しょうとくたいしでんりゃく
平安時代の聖徳太子伝。通称、伝暦。数多くの聖徳太子伝承・伝記は、すべてここに集大成され、ふたたびここから流布していった。917年(延喜17)に藤原兼輔(かねすけ)の書いたものだとする藤原猶雪(ゆうせつ)説が、一時、定説化したきらいがあるが、今日では、強く疑問視されて、その成立年代・撰者(せんじゃ)とも、振り出しに戻って検討されている。
延喜(えんぎ)年間(901~923)の成立かとも憶測されている『本朝月令(ほんちょうげつれい)』、および1008年(寛弘5)ごろの成立とみられる『政事要略』に引用された「聖徳太子伝」や、984年(永観2)成立の『三宝絵詞(さんぼうえことば)』で参照された「平氏撰聖徳太子伝」は、その内容からみて、いずれも伝暦と深いかかわりが認められる。伝暦の原形か、それに先行する伝の可能性がある。これらの関係をさらにつきつめて、984年以前に、一巻本の「平氏撰聖徳太子伝」(太子49歳入滅とする)があり、これを増補(闕暦(けつりゃく)を補入して伝暦とする)して992年(正暦3)に、二巻本の「聖徳太子伝暦」(太子37歳をもって上巻を終え、50歳入滅とする)が成立し、さらに遅くとも平安時代末期までには、今日伝わるような体裁(太子36歳をもって上巻を終える)に整えられたとする具体的な試案も出されている。
[新川登亀男]
『『聖徳太子全集 第3巻 太子伝(上)』(1944・龍吟社)』▽『林幹彌著『太子信仰の研究』(1980・吉川弘文館)』▽『田中嗣人著『聖徳太子信仰の成立』(1983・吉川弘文館)』