日本歴史地名大系 「魚目村・魚目中」の解説
魚目村・魚目中
うおのめむら・うおのめじゆう
現新魚目町域の南端、」とみえる。地内の榎津に魚目城跡がある。
江戸時代は初め福江藩領で、慶長国絵図に「魚ノ目」とみえ、高一一二石余。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳に魚ノ目湊とみえ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
現新魚目町域の南端、」とみえる。地内の榎津に魚目城跡がある。
江戸時代は初め福江藩領で、慶長国絵図に「魚ノ目」とみえ、高一一二石余。慶安二年(一六四九)の肥前国道法帳に魚ノ目湊とみえ、
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
《料理されるためにまないたにのせられた魚の意から》相手のなすに任せるより方法のない運命のたとえ。まないたの鯉こい。[類語]俎板まないたの鯉こい・薬缶やかんで茹ゆでた蛸たこのよう・手も足も出ない...