魚見村(読み)うおみむら

日本歴史地名大系 「魚見村」の解説

魚見村
うおみむら

[現在地名]松阪市魚見町・川島かわしま町・新開しんかい町・新屋敷しんやしき

櫛田くしだ川下流右岸にあり、北は久保くぼ村、南は六根ろつこん村、東は保津ほうづ村に接する。枝郷として村域北部に川島村・新開村が、櫛田川を隔てて同左岸に新屋敷村がある。「倭姫命世記」の垂仁天皇二二年の条に「御船乗給幸行、其河後江到坐、于時魚自然集出、御船参乗、爾時倭姫命見悦給、其処魚見社定賜」とあり、魚見の名を付けたいわれとなっている。

伊勢神宮領として、「神宮雑例集」に「魚見東御園」「魚見新御園」、「神鳳鈔」に「内宮魚見東御薗三斗五升、九月」と記される。康永三年(一三四四)八月の法楽寺文書紛失記(京都市田中忠三郎氏蔵文書)に、「一、治畠弐段 在飯野郡三条五魚見里卅六坪内 四至 四面垣根」と記されている。


魚見村
うおみむら

[現在地名]池田町魚見

菅生すごう村の西に位置し、足羽あすわ川の支流魚見川の最上流にある。慶長一一年(一六〇六)頃の越前国絵図に大味おおみ村とあり、高七〇・〇四石。正保郷帳で魚見村と記され、田方三五石余・畠方三四石余。「越前地理指南」には「三ケ所居ス」とあり、「越前国名蹟考」には枝村として中出なかで金山かなやまつじが記される。享保六年(一七二一)の池田郷中村々明細帳の写(片山家蔵)によれば、反別八町二反余でうち五町余は下畑とあり、小物成に山手米・漆役・炭役・糠代・藁代があった。家数四六、人数二〇六人で牛二四頭。山あいの村で猪・鹿・狼も多かったという。楮・三椏を栽培しその黒皮は五箇ごか(現今立町)巣原すはら(現大野市)の紙漉屋へ売却したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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