日本歴史地名大系 「川島村」の解説
川島村
かわしまむら
- 宮崎県:延岡市
- 川島村
寛永一一年(一六三四)の指出(国乗遺聞)では高五三一石余。万治四年(一六六一)の延岡藩村高内検高覚では内検高八六六石余。元禄五年(一六九二)の延岡藩領郷村高帳写(三浦家文書)では高五三一石余・出高二五一石余、新田高五九石余・新田出高四三石余。延享四年(一七四七)の延岡藩領郷村高帳では高七八三石余・新田高一六三石余。
川島村
かわしまむら
- 京都市:西京区
- 川島村
川島村
かわしまむら
安曇川南岸に位置し、東は
川島村
かわしまむら
- 福井県:鯖江市
- 川島村
川島村
かわしまむら
川島村
かわしまむら
寛永一九年(一六四二)旗本山本領、延享四年(一七四七)幕府直轄領。天保(一八三〇―四四)頃の村明細帳(村明細帳の研究)では田一四町六反余、畑一一九町七反余。元禄二年(一六八九)四月の保土ヶ谷宿助郷村高道程覚書(県史九)では助郷高二七七石余を保土ヶ谷宿と神奈川宿(現神奈川区)に勤めている。
川島村
かわじまむら
川島村
かわしまむら
川島村
かわしまむら
- 福岡県:飯塚市
- 川島村
川島村
かわしまむら
川島村
かわしまむら
- 愛知県:安城市
- 川島村
東は矢作川に沿い、西を
古代
藩政期の支配は、初め荒川右馬之助領、貞享二年(一六八五)幕府領、そして正徳五年(一七一五)数原通玄領、享保一〇年(一七二五)岡崎藩領、天明二年(一七八二)巨勢六左衛門領に三分された。
川島村
かわしまむら
- 群馬県:渋川市
- 川島村
川島村
かわしまむら
川島村
かわしまむら
- 埼玉県:蓮田市
- 川島村
蓮田台地の南東部に位置し、元荒川右岸の自然堤防上にある。東は元荒川を隔てて
川島村
かわしまむら
川島村
かわしまむら
川島村
かわしまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報