鮎ノ瀬井手(読み)あゆのせいで

日本歴史地名大系 「鮎ノ瀬井手」の解説

鮎ノ瀬井手
あゆのせいで

黒肥地くろひじみぞくちで球磨川の水を取入れ、字鮎ノ瀬などを通り字是居ぜいまで約三キロにわたり、流末は牛繰うしくり川と球磨川に注ぐ用水路。灌漑面積約三三町歩。取入口の傍らに井手碑が二基ある。一基は碑の中央に「鮎之瀬井手碑」、右に「永仁三年五月」、左に「領主 相良頼宗建」とあるが、鎌倉時代の碑としては形態や刻銘に疑わしい点があるといわれる。もう一基は「天保十四癸卯年正月四日ヨリ鮎之瀬井手普請始三月四日成就」、その銘の下に「才興請込 鍋嶋源四郎」、左上部に「奉行 菊池庄七 西近右衛門」その下に「杖突 上淵仁左衛門 原口助蔵 尾方芳蔵 土肥宇兵衛」と記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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