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鮎沢伊太夫 あゆざわ いだゆう

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

鮎沢伊太夫 あゆざわ-いだゆう

1824-1868 幕末の武士。
文政7年生まれ。高橋多一郎の弟。常陸(ひたち)水戸藩士。藩校弘道館舎長をへて,勘定奉行となる。安政の大獄で豊後(ぶんご)(大分県)佐伯(さいき)藩に禁固。のち天狗(てんぐ)党の乱にくわわり,戊辰(ぼしん)戦争にも従軍,明治元年10月1日諸生派とたたかい,戦死した。45歳。本姓は高橋。名は国維。字(あざな)は廉夫。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

鮎沢伊太夫

没年:明治1.10.1(1868.11.14)
生年:文政7(1824)
幕末の尊攘派水戸藩士。諱は国維,号は不愧,初め重太郎,のちに伊太夫。水戸藩士高橋諸往の次男。養父は鮎沢正行,75石。天保末に藩主徳川斉昭により設置された弘道館の舎長となり,弘化1(1844)年,斉昭の隠居謹慎に際し処罰解除運動に参加,罰せられた。嘉永2(1849)年赦免,安政3(1856)年勘定奉行。同5年,戊午の密勅の諸藩への廻達を主張し薩摩藩尊攘派と接触,安政の大獄で佐伯藩にお預け。文久2(1862)年赦免。以後,藩内抗争では激派の立場を取り,明治1(1868)年10月1日官軍として水戸城にいたが,市川勢の襲撃で戦死。陣頭で監察隊を督戦したという。

(吉田昌彦)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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