朝日日本歴史人物事典 「鮎沢伊太夫」の解説
鮎沢伊太夫
生年:文政7(1824)
幕末の尊攘派水戸藩士。諱は国維,号は不愧,初め重太郎,のちに伊太夫。水戸藩士高橋諸往の次男。養父は鮎沢正行,75石。天保末に藩主徳川斉昭により設置された弘道館の舎長となり,弘化1(1844)年,斉昭の隠居謹慎に際し処罰解除運動に参加,罰せられた。嘉永2(1849)年赦免,安政3(1856)年勘定奉行。同5年,戊午の密勅の諸藩への廻達を主張し薩摩藩尊攘派と接触,安政の大獄で佐伯藩にお預け。文久2(1862)年赦免。以後,藩内抗争では激派の立場を取り,明治1(1868)年10月1日官軍として水戸城にいたが,市川勢の襲撃で戦死。陣頭で監察隊を督戦したという。
(吉田昌彦)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報