ノルウェーの作曲家。6月15日スコットランドの家系に生まれる。生地ベルゲンのピアニストであった母に6歳のころからピアノ演奏の基礎を学び、14歳ころから作曲を始める。ライプツィヒ音楽院でE・F・ウェンツェルやI・モシェレスにピアノを、E・F・リヒターとM・ハウプトマンに和声と対位法を学ぶ。一方、ゲバントハウスの音楽会でメンデルスゾーン、シューマン、ショパン、ワーグナーらの当時の新しい音楽を知り、強い影響を受けた。1862年春、故郷ベルゲンでピアニストおよび作曲家としてデビューしたが、翌年コペンハーゲンに向かい、ガーゼNiels Gade(1817―90)に会う。さらに64年、同世代のノルウェーの作曲家ノールロークRikard Nordroak(1842―66)との出会いは、グリーグのなかに高まっていた民族音楽への関心を決定づけることになった。66年クリスティアニア(現オスロ)に移り、活発な演奏活動のかたわらノルウェー民謡を研究。そしてピアノ協奏曲イ短調(1868)で作曲家としての地位を確立した。
1870年にはリストの招待を受けて政府の奨学金でローマに赴く。71年作曲家スウェンソンJohan Svendsen(1840―1911)とともにクリスティアニア音楽協会を創立。70年代後半には劇作家イプセンとの親交を深め、政府の奨励金を得て作曲した付随音楽『ペール・ギュント』(1876)は大成功を収めた。80~82年ベルゲン市立管弦楽団指揮者を務めたが、85年以降はベルゲン近郊のトロルハウゲンに移り(現在グリーグ記念館)、創作活動に専念した。1907年9月4日ベルゲンで没したが、これはイギリスへの演奏旅行のため家を出た数日後のことであった。「ノルウェーの自然、民衆の生活と歴史、民衆の詩を描くこと」を自らの務めと考えていたグリーグは、ピアノ曲『ユモレスク集』(1865)からバイオリン・ソナタ第3番(1886~87)、ピアノ曲集『スレッター』(1902~03)に至るまで、民族的色彩の強い作品を創作した。彼の作品の一つの中心は、優れた歌手である「妻への愛から生まれた」140曲の歌曲にあり、なかでもアンデルセンの詩による初期の『心の歌』(1864)が有名。また、ピアニストとしての彼の活躍の基礎であったピアノ独奏曲も重要な位置を占めており、とくに『叙情小品集』は全10集(1883~1901)に及ぶ。
[寺本まり子]
ノルウェーの詩人。ベルゲン生まれ。大学時代から冒険を好んで世界を旅して歩き、詩集『喜望峰を回って』(1922)、小説『船はさらに進む』(1924)を発表。のちオックスフォード大学に学び、バイロン、シェリー、キーツらを研究した『夭折(ようせつ)した詩人たち』(1932)などを出す。ジャーナリスト、劇作家、探偵小説家などとしても活躍、1932年から当時のソ連に遊んで共産主義に共鳴、35年に帰国してからは左翼文壇のホープとなる。戯曲『われらの名誉とわれらの力』(1935)、パリ・コミューンを扱った『敗北』(1937)が代表作。第二次世界大戦でドイツ軍が侵入すると徹底的抗戦を唱え、イギリスに逃れてそれを継続、最後は自ら爆撃機に乗ってベルリンを襲い、撃墜されて戦死した。有名な作曲家グリーグの縁者。
[山室 静]
ノルウェーの作曲家。ピアニストの母から音楽の手ほどきを受け,1858年ライプチヒ音楽院に留学。ウェンツェルE.F.Wenzel,モシュレスにピアノを,リヒターE.F.Richter(1808-79),ハウプトマンM.Hauptmann(1792-1868)に和声・対位法を,ライネケC.Reinecke(1824-1910)に作曲を師事。またシューマンをはじめとするドイツ・ロマン派音楽の影響を受けた。帰国後,故郷ベルゲンでピアニスト,作曲家として活躍を始めた。64年ノルウェーの作曲家ノールロークRikard Nordraak(1842-66)との出会いは,彼に転機を与え,それまでのドイツやデンマークのロマン主義的傾向から離れて,ノルウェー国民主義的様式へと向かう。66年クリスティアニア(現,オスロ)に居を据え,指揮者として国内,国外で活躍,71年に音楽協会を設立,音楽振興に努め,74年政府から終身年金を受けることになった。その後ベルゲン近郊に移り創作する一方,演奏旅行を行った。彼は種々の編曲を通してノルウェーの民謡や舞曲を芸術的なものに高めると同時に,ノルウェーの民俗音楽に創作の源泉を見いだし,国民的な音楽の基礎を築いた。その和声には,すでに印象主義的傾向が認められる。彼の個性は小規模な歌曲とピアノ曲において最も良く発揮されている。数多い作品のうち,《ピアノ協奏曲イ短調》(1868),管弦楽組曲《ペール・ギュント1,2》(1888,91)は広く親しまれている。
執筆者:寺田 由美子
ノルウェーの劇作家。20代に新聞記者として渡った中国で社会変革の意識に目覚め,ソ連滞在中に強固な親ソ的共産主義者となるとともに演劇に開眼した。《我らの栄光と我らの力》(1935)は第1次大戦中の船主の利潤追求と船員の不安をシナリオ風に描いたもの。代表作のパリ・コミューンを扱った劇《敗北》(1937)は革命と暴力は不可分だという主張を響かせる。ナチスの侵略で亡命し,イギリス軍爆撃機に同乗,戦死した。
執筆者:毛利 三彌
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…メンデルスゾーンの《バイオリン協奏曲》にはダーフィトFerdinand David(1810‐73)が協力し,J.ヨアヒムのためには,シューマン,ブルッフ,ブラームス,ドボルジャークなどが優れた協奏曲を書いている。高度の名人芸を優れた音楽性に結びつけようとした19世紀後半のバイオリン曲には,同時代の名演奏家P.deサラサーテにささげられたE.ラロの《スペイン協奏曲》(1873)やサン・サーンスの《バイオリン協奏曲第3番》(1880),またソナタとしては,ブラームスの3曲(1879,86,88),ベルギーの名手E.A.イザイエにささげられたC.フランクの傑作(1886),ノルウェーの抒情性に富んだE.グリーグの第3番(1887)などがあり,今日の演奏会の重要な曲目を形成している。 調性を離れた革新的な作曲語法の探究という20世紀音楽のおもな潮流は,バイオリンの旋律的性格とは異質な音響世界の構築へと向かった。…
※「グリーグ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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