朝日日本歴史人物事典 「鳥海松亭」の解説
鳥海松亭
生年:安永1(1772)
江戸後期の学者。名は恭,字は仲黙,重三郎と称す。松亭は号。書斎号を鳳翔館。庄内(鶴岡)藩医鳥海良琢の長男に生まれたが,家督を譲り江戸に出て下谷三枚橋に住む。当時活躍中の学者や文人たちと交友を持ち学問に努めた。漢学を市河寛斎,蘭学を吉田長淑の蘭馨堂に学ぶ。文化13(1816)年に刊行された著書『音韻啓蒙』は和漢洋の研究のなかから日本語の音韻,表記法を論じたもので言文一致を提唱していることは注目される。他に『文章逢源』『荘子独断』『大学奉旨』『中庸奉旨』『泰西余言』『松亭小言』『音韻析毛』が知られるが,『音韻啓蒙』のほかは残っていない。墓所は心月院(東京都杉並区)。<参考文献>平野満「蘭馨堂門人・鳥海松亭」(田崎哲郎編『在村蘭学の展開』)
(平野満)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報