鳴海庄(読み)なるみのしよう

日本歴史地名大系 「鳴海庄」の解説

鳴海庄
なるみのしよう

醍醐寺領荘園。現緑区鳴海町辺りか。成立年代・規模などは不詳。荘名の初見は延文二年(一三五七)まで下り、鎌倉期については史料を欠く。小笠原長清の子清時が「鳴海余一」を称し、以後子孫が鳴海姓を称していることから、承久の乱後当庄の地頭職を得て入部したものとみられる(尊卑分脈)。南北朝初期の当庄は内裏(北朝)料所であったが、延文二年正月二六日付後光厳天皇綸旨(名古屋市博物館蔵文書)により醍醐寺三宝院に鳴海東西庄を知行すべき旨が伝えられ、次いで同年六月七日、同じく後光厳天皇綸旨(醍醐寺文書)により「為御祈料所、可令門葉相承給」との意が三宝院門跡光済に伝えられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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