日本歴史地名大系 「鴇波村」の解説 鴇波村ときなみむら 宮城県:登米郡豊里町鴇波村[現在地名]豊里町鴇波登米郡南端、南流する北上川が猪眠(いねむり)山麓で二つに分流し、一流が西方に流れを転じる低湿地帯にあり、北から西にかけての山地と北上川とに挟まれて耕地が広がる。北は寺池(てらいけ)村境沢(さかいさわ)(現登米町)、南は赤生津(あこうづ)村竹(たけ)ノ沢(さわ)、東は北上川、西は善王寺(ぜんのうじ)村末田(すえだ)(現米山町)に接する。縄文、奈良―平安時代の迫(はさま)遺跡、奈良―平安時代の山根(やまね)遺跡がある。山根の丘陵斜面に美濃守という人物が住んだと伝える中世の美濃(みの)館跡が残る(登米郡史)。この近くの瑠璃光山医王(いおう)寺跡に貞和三年(一三四七)から応永八年(一四〇一)にかけての板碑が一六基ほど残るが、早くから開発が進んだのであろう。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by