鶴ヶ曾根村(読み)つるがそねむら

日本歴史地名大系 「鶴ヶ曾根村」の解説

鶴ヶ曾根村
つるがそねむら

[現在地名]八潮市鶴ヶ曾根

利根川(中川)右岸の沖積地に位置し、村名は鶴塚があることに由来するという(風土記稿)。北は八条はちじよう村で、江戸下妻道が通る。八条から連なる条里遺構が確認されている。至徳四年(一三八七)五月一日の大中臣長房譲状(香取旧大禰宜家文書)に「しもかわへのうちひこなのせき・つるかそねのせき」とみえ、下総一宮香取社領の下河辺しもこうべ庄内鶴ヶ曾根関などが同社大禰宜兼大宮司の長房から嫡子まんしゅまる(満珠丸)に譲られているが、中世には当地が武蔵・下総の国境をなす利根川(のちの古利根川)の渡河・舟運の要衝であったことが知られる。


鶴ヶ曾根村
つるがそねむら

[現在地名]中之島村鶴ヶ曾根

中野東なかのひがし村の東、刈谷田かりやだ川左岸の沖積地に立地。明治二八年(一八九五)中野東から当村を通り中之島に至る新道(現県道見附―与板線の一部)建設以前は、かめ新田・中野東と縄手(畷)によって結ばれていた。伊勢御師の道者株を売った永禄三年(一五六〇)一〇月吉日の貫屋家兼売券案(来田文書)にみえる「か瀬」は当村のことであろう。慶長三年(一五九八)頃の新発田御領内高付帳(新発田市史資料)に鶴か曾禰村とみえ、一七一石四斗余。同一〇年の給知方村々高目録(同資料)によると毛付五二石七斗余・荒一六一石七斗余で、給知高のおよそ八割が荒地

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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