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鶴丸城 つるまるじょう

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日本の城がわかる事典の解説

つるまるじょう【鶴丸城〈宮城県〉】

宮城県栗原市(旧栗駒町)にあった戦国時代の山城(やまじろ)。南北朝時代に、葛西氏一族の富沢河内守道祐によって築かれた。現在、岩ヶ崎小学校のある場所の北側の高地に築かれ、その最高部に本郭、その東に二の郭、三の郭、蛭子館の四つの郭で構成されていた。その規模は東西約650m、南北約400mに及ぶ。富沢氏は葛西氏に五代にわたって仕えたが、1590年(天正18)、豊臣秀吉の奥州仕置により主家葛西氏が滅亡した後、同地を去り南部氏に臣従した。その1年後の1591年(天正19)に九戸政実(くのへまさざね)の乱が起こるが、その際、この城は討伐軍総大将の関白豊臣秀次(ひでつぐ)の陣所となった。その後、鶴丸城は伊達家の属城となり、江戸時代に入ると伊達政宗(だてまさむね)は重臣の茂庭綱元(もにわつなもと)(鬼庭綱元)を後見として五男宗綱、次いで六男宗信を城主としている。この両城主の早逝後、石母田氏、田村氏、古内氏、茂庭氏、中村氏と城主を変えた。中村氏は1694年(元禄7)に藤沢から転封となってこの地に入り、それ以来明治維新まで鶴丸城を居城とした。城跡は現在、栗駒山を望む景勝地として館山(たてやま)公園になっており、桜の名所として知られている。JR東北新幹線くりこま高原駅から車で約40分。JR東北本線石越駅からバス約35分で栗駒駅下車、徒歩約15分。◇鶴丸館、鶴舞城、岩ヶ崎城とも呼ばれる

つるまるじょう【鶴丸城〈鹿児島県〉】

鹿児島城(かごしまじょう)

出典|講談社
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