日本歴史地名大系 「鶴野新田」の解説 鶴野新田つるのしんでん 大阪府:摂津市鶴野新田[現在地名]摂津市鶴野一―四丁目・学園(がくえん)町一―二丁目・桜(さくら)町一―二丁目、茨木(いばらき)市横江(よこえ)二丁目などもと三宅(みやけ)村の属邑で(茨木市の→三宅村)、安威(あい)川と茨木川(当村付近は現在廃川)の合流点に位置し、村域の過半が堤で囲まれ、輪中を形成するという低湿地帯。東は北川(きたがわ)井路で島(しま)村(現茨木市)と、西は茨木川で味舌下(ましたしも)村と境し、南は安威川を隔てて新在家(しんざいけ)村と向い合う。集落は茨木川沿いの囲堤の内側に集村形態をとる。応永六年(一三九九)一〇月一〇日の三善景衡公験文書紛失状(宝鏡寺文書)に三善氏相伝の私領として「鳥養村内稲福庄并鶴野村」がみえ、鳥養(とりかい)牧に含まれていたとも考えられる。鶴野新田は文禄年間(一五九二―九六)に開かれたと伝えるが(大阪府全志)、前記鶴野村とのつながりは不明。新井路証文(今井省三家文書)のうち承応元年(一六五二)の証文に「鶴野之内半兵衛殿御さはい田地」のことがみえ、当村はこの半兵衛持分の田地にあたり、天和三年(一六八三)には高一九二石余・反別一四町五反余であった(関西大学所蔵文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by