鷲ノ木村(読み)わしのきむら

日本歴史地名大系 「鷲ノ木村」の解説

鷲ノ木村
わしのきむら

[現在地名]茅部かやべ郡森町字鷲ノ木町・字鳥崎町とりざきちよう・字富士見町ふじみちよう・字栗ヶ丘くりがおか・字桂川かつらがわ・字蛯谷町えびやちよう・字清滝きよたき・字本茅部町ほんかやべちよう・字石倉町いしくらちよう・字濁川にごりかわ・字三岱さんたい

近世から明治三五年(一九〇二)までの村。箱館六箇場所の一つ茅部場所に含まれていたが、寛政一二年(一八〇〇)に「村並」となり(休明光記附録)、天保郷帳の「従松前東在」に「鷲ノ木」とみえ、持場として「尾白内・森・蛯谷古丹・本茅部・石倉」が記される。安政五年(一八五八)正式に村となった(書付并伺書類)。成立時は西は茂無部もなしべ川を挟んで落部おとしべ(現八雲町)、東は鳥崎川を挟んで森村、北は海に面していた。

「鷲乃木は昔鷲多く集りし処なるゆゑ地名となると云へり」(検考録)とあり、「石河原といふ磯屋形を過れば鷲の木といふところのありて」(蝦夷迺天布利)、「ハシノキヘ御ツキ則会所ノ運上屋ト云、今年ヨリ会所ト云。此所蝦夷人多シ、(中略)此辺春ハニシン多ク取レル、夏ハ昆布取所也。箱館辺ノ出タル者多クアリ」(「東蝦夷地日記」寛政一二年閏四月三日条)などと記される。文化年間(一八〇四―一八)には「石川原ト鷲木ハ一村も同様、橋一ツを隔とす、両所にて家数四十余、鷲木村の下に崎あり、湯の崎と云、此磯岩浜なるに遠浅まて所々水沸湧、其色如油流れ、且鉄醤の如く嗅気あり」(「毛夷東環記」同三年四月条)とあり、同四年には鷲木村の家数四四・人数二〇六(「西蝦夷地日記」同年一〇月二二日条)、「同所入口川有り、家数三拾軒斗、出口小川有、会所有り」(同年「蝦夷地海陸道法図説」)と記される。同六年の家数四二、馬一〇(「東行漫筆」同年四月二日条)、「鷲の木村、四拾戸斗、(中略)サワラより是迄三里位、都て此辺浜辺鯡子屋数軒有、五月頃まてハ漁有るよし。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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