日本歴史地名大系 「鷲塚湊」の解説
鷲塚湊
わしづかみなと
[現在地名]碧南市鷲林町
矢作川下流に開けた港。鷲塚は、この地が入海であった中世の頃から矢作川改修工事の行われた近世にわたって交通の要地であった。「信長公記」に「三河の国端に土呂・佐座喜・大浜・鷲塚とて、海手へ付て然るべき要害富貴にて人多き湊なり」とある。
寛政一〇年(一七九八)に鷲塚・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
矢作川下流に開けた港。鷲塚は、この地が入海であった中世の頃から矢作川改修工事の行われた近世にわたって交通の要地であった。「信長公記」に「三河の国端に土呂・佐座喜・大浜・鷲塚とて、海手へ付て然るべき要害富貴にて人多き湊なり」とある。
寛政一〇年(一七九八)に鷲塚・
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