日本歴史地名大系 「鹿児島城下絵図」の解説
鹿児島城下絵図(天保城下絵図)
かごしまじようかえず
六曲屏風 一七五×三三五センチ
原本 鹿児島市立美術館
解説 成立は天保癸卯との注記があることから同一四年とされる。薩藩沿革地図には一枚に模写して収められる。南東の海上から北西方向への鹿児島城下の鳥瞰図で、北は田ノ浦から清水城跡を結ぶ線、南は高麗町之橋と西田町町口を結ぶ線の範囲が鹿児島湊を含めて描かれる。寺・役所・馬場・小路・町・橋名、一三三人の大身分・小番の名が屋敷に注記されるほか、諸所に説明が朱書される。この注記は絵図成立後に別人により書かれたことは木橋の所に「此橋今石之眼鏡橋ニ成ル」などとあることから明らかであるが、上方限・下方限の境が記されるなど、この絵図のみで知られる事柄も多く、幕末期の鹿児島城下の様子を知るうえで貴重である。昭和五五年(大江出版社)刊。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報