日本歴史地名大系 「鹿峠村」の解説 鹿峠村かとうげむら 新潟県:南蒲原郡下田村鹿峠村[現在地名]下田村鹿峠鹿熊(かくま)川との合流付近、五十嵐(いからし)川右岸の段丘上に立地。元和四年(一六一八)の下田大肝煎宛堀直寄下知状(堀文書)に「加峠村」とみえる。正保国絵図では高四六〇石余。正保(一六四四―四八)初年の物成高を記した「初免石」(「村松小史」渡辺芳江氏蔵)では三四〇石六斗余・家五五戸。村松(むらまつ)(現中蒲原郡村松町)から下土倉(しもつちくら)・長谷(ながたに)・黒水(くろみず)(現加茂市)・曲谷(まがりたに)・鹿峠を経て見附に出る丹波(たんば)街道の要衝に位置し、本陣・問屋などが置かれた。弘化三年(一八四六)の鹿峠組村々役人御宛行取調書上帳(若林正幸氏蔵)にある寛永二年(一六二五)の覚に「加峠村唯今之伝馬次に罷成」とあり、この頃丹波街道が開削され、宿駅となったと推測される。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by