朝日日本歴史人物事典 「鹿島則文」の解説
鹿島則文
生年:天保10.1.13(1839.2.26)
明治時代の神道家で,鹿島神宮大宮司,伊勢神宮大宮司。常陸国(茨城県)の鹿島神宮大宮司鹿島則孝の長男。幼少から学問好きで,文久3(1863)年に鹿島に文武館を設立したが,その思想,行動が幕府の忌諱に触れ,八丈島に流された。明治6(1873)年鹿島神宮の大宮司となり,次いで同17年に伊勢神宮の大宮司に任じられた。大宮司として神宮の祭儀復興,神宮皇学館や林崎文庫の整備拡充,あるいは明治時代の大百科事典ともいうべき『古事類苑』の刊行などに尽力したが,同31年の内宮炎上の責任を取って辞職した。<参考文献>『鹿島町史』
(阪本是丸)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報