日本歴史地名大系 「鹿島十分一番所跡」の解説
鹿島十分一番所跡
かじまじゆうぶいちばんしよあと
天竜川が渓谷部から遠州平野に出る直前で大きく蛇行する地点の河原、現在の鹿島橋付近に設置された幕府管轄の川番所。天竜川に川番所が設けられたのは中世末の今川氏治下にさかのぼると思われるが、史料上で確認されるのは慶長一二年(一六〇七)と推測される小浦一直手形(田代家文書)で、これによると浜松藩主松平忠頼の家臣小浦一直が鹿島の加平次を「十分一之目付」に任命している。当時、番所の少し下流から天竜川は二筋に分れ、番所側を小天竜川が流れ、同川は浜松城下の東から遠州灘に注いでいた。番所では北遠地方から天竜川を利用して川下げされる民間の林産物に対し十分一の税が賦課された。幕府の御用材や御榑木などの公用品の川下げは無分一(無税)であった。松平忠頼・徳川頼宣領時代は領主が直接十分一税を徴収していたと思われるが、寛永一三年(一六三六)からは商人が請負って税を徴収する形態が始まった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報