日本歴史地名大系 「二俣村」の解説
二俣村
ふたまたむら
二俣村
ふたまたむら
二俣村
ふたまたむら
- 静岡県:天竜市
- 二俣村
現天竜市の南部に位置し、天竜川中流左岸、同川支流二俣川の下流域に立地する。二俣川は寛政(一七八九―一八〇一)以前は村内南部を南流して
二俣村
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- 千葉県:佐原市
- 二俣村
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二俣村
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- 滋賀県:八日市市
- 二俣村
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二俣村
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- 千葉県:市川市
- 二俣村
原木村の東に位置し、南には塩浜が広がっていた。佐倉道が通り、同道の北側に面して集落がある。江戸時代は幕府領で推移した(旧高旧領取調帳など)。寛文期(一六六一―七三)と推定される国絵図に「二又」とみえ、元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高四〇五石余。塩浜付の村方で、同一五年の検地では塩浜反別合四町余・年貢永八貫四七四文余であった(「塩浜由来書」国立史料館蔵)。塩浜反別は文化一二年(一八一五)には七町二反余、明治一五年(一八八二)には二二町五反余と増加傾向にあった。しかし年貢永は延享三年(一七四六)に四貫八五一文余、文化末年に三貫七二六文余と減少していた(市川市史)。
二俣村
ふたまたむら
二俣村
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- 大分県:竹田市
- 二俣村
二俣村
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- 佐賀県:武雄市
- 二俣村
武雄川が
江戸時代の初め佐賀藩が新田開発を行った村で室町時代までは蘆の茂った低湿地帯であった。
二俣村
ふたまたむら
二俣村
ふたまたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報