鹿島 清兵衛
カシマ セイベエ
明治・大正期の写真家,笛奏者(梅若流)
- 生年
- 慶応2年(1866年)
- 没年
- 大正13(1924)年8月6日
- 出生地
- 播磨国(兵庫県)
- 別名
- 芸名=三木 助月(如月)
- 経歴
- 播磨の酒造家に生まれ、東京・京橋の酒問屋・鹿島清兵衛の養子となる。演芸、幻燈、写真にこり、明治22年小川一真が試みた乾板写真の研究に投資援助、木挽町に大写真館玄鹿館を建設。日露戦後の好況に大尽風を吹かせ、新橋の名妓初代ぽんたを落籍、評判となった。のち破産、養子縁組も解消、“今紀文”といわれ、京都に移住、また東京に帰り、本郷で写真業を営んだ。この間ぽんたは落ちぶれた夫を助け、子を育て、踊の師匠、寄席、地方巡業に出るなど、貞女をうたわれた。その後マグネシウムのため負傷し、写真業を廃業。以後は梅若能に出演、笛の名手として活躍した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
鹿島清兵衛 かしま-せいべえ
1866-1924 明治-大正時代の写真家,能楽師笛方。
慶応2年大坂の造り酒屋鹿島屋の次男に生まれ,東京の鹿島屋の養子となる。写真界のパトロンとして知られ,みずからも写真館玄鹿館をいとなんだ。のち鹿島家から除籍され,三木助月の芸名で梅若流笛方としてならした。大正13年8月6日死去。59歳。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
鹿島清兵衛
没年:大正13.8.6(1924)
生年:慶応2(1866)
明治大正期の写真界に君臨した名士。兵庫の造酒屋に生まれ東京の分家の養子となる。写真技術の向上に投資援助をいとわず,また自らも写真業を営み,その豪奢さは「写真のお大尽」と称された。
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
世界大百科事典(旧版)内の鹿島清兵衛の言及
【写真館】より
…その後,明治も半ばをすぎると豪華なしつらえを誇る写真館が登場した。なかでも,1895年に鹿島清兵衛が東京木挽町に開業した玄鹿館は間口10間,奥行き15間の洋館2階建てで,2500燭光の照明を備えた写場には,まわり舞台がしつらえてあって,書割りがわりに芝居の道具を使い,客の希望にあわせて,時代物,世話物など,あらゆる演出が可能なほどの凝りようであったという。【加藤 秀俊】。…
※「鹿島清兵衛」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」