鹿忍庄(読み)かしののしよう

日本歴史地名大系 「鹿忍庄」の解説

鹿忍庄
かしののしよう

瀬戸内海に面した現牛窓町鹿忍を遺称地とし、同地から現邑久町上山田かみやまだ・下山田一帯に推定される。永仁五年(一二九七)六月日の尚清処分帳(石清水文書)によれば、山城石清水いわしみず八幡宮検校善法寺宮清が開いた善法律ぜんぽうりつ(現京都府八幡市)領で、善法寺尚清より宮一若(入江通清)に譲られている。正応年中(一二八八―九三)当庄と豊原とよはら庄との間で大山たいやま(現邑久町)千手せんず藤井ふじい(現岡山市)、鵠浦などをめぐって相論となり、永仁年間いったん豊原庄側の勝訴となったが当庄下司藤井惟景は再審を要求、惟景が死去して訴訟を引継いだ子の惟政は元亨四年(一三二四)四月一九日和解し、藤井村と鵠浦は惟政の、大山千手豊原庄の支配、海上以下の得分は折半となった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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