日本歴史地名大系 「鹿路村」の解説 鹿路村ろくろむら 奈良県:桜井市安倍・多武峯地区鹿路村[現在地名]桜井市大字鹿路飯盛塚(いいもりづか)町から細(ほそ)峠や竜在(りゆうざい)峠へ至る傾斜地の山村。「万葉集」巻三に<資料は省略されています>などとみえる猟路(かりじ)の池・猟路の小野を「大和志」は当村に比定。慶長郷帳では「六路村」、元和郷帳では「路くろ村」とみえる。慶長期(一五九六―一六一五)から幕府領(代官角南重勝)。元和五年(一六一九)以降津藩(藤堂高虎)領に編入され、廃藩置県に至る。「宗国史」に戸数四七、人口二〇九、祠に天一(てんいち)神社、寺に阿弥陀寺・薬師堂、馬一、牛二とみえる。 鹿路村ろくろむら 石川県:鳳至郡穴水町鹿路村[現在地名]穴水町鹿路・越の原(こしのはら)別所(べつしよ)岳の北東山間にあり、北東に山を下れば宇留地(うるち)村に至る。正保郷帳では高二九石余、田方一町九反余で畑方はない。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高四六石、免三ツ五歩、小物成に山役三〇匁、炭竈一枚役一三匁(退転)がある(三箇国高物成帳)。元禄八年(一六九五)の新開覚(宇留地区有文書)には、鹿路村・宇留地村領の新開高一石五斗、両村領別所新開高二石五斗とあり、当時両村は宇留地村肝煎が兼務していた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by