日本歴史地名大系 「鹿部田渕遺跡」の解説 鹿部田渕遺跡ししぶたぶちいせき 福岡県:古賀市鹿部村鹿部田渕遺跡[現在地名]古賀市鹿部 田渕・木ノ下花鶴(かづる)川右岸の鹿部山から西方向に延びる丘陵端部にある遺跡。周辺には唐(とう)ヶ坪(つぼ)・五(ご)ノ坪(つぼ)・浦(うら)・永浦(ながうら)などの地名が残る。発掘調査は平成一一年(一九九九)以降随時続けられており、弥生時代中期から中世の複合遺跡が確認された。六世紀中頃を上限とした官衙的大型建物群は、花鶴川の港を管理するための施設と考えられ、大宰府地域から糟屋(かすや)郡を通る峠越ルートと、福岡平野から平地を通るルートが交差する陸路の交通の要衝に位置する。「日本書紀」継体天皇二二年一二月条にみえる糟屋屯倉の可能性が考えられる。大型建物群の遺構としては二×七間の側柱建物一棟、五×八間以上(両側が道路と旧地形削平により不明)の庇付側柱建物一棟、二×三間の総柱建物二棟、二×三間の側柱建物一棟、柵列、溝状遺構二条、空間、大溝が確認されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by