糟屋屯倉(読み)かすやのみやけ

日本歴史地名大系 「糟屋屯倉」の解説

糟屋屯倉
かすやのみやけ

日本書紀」継体天皇二二年一二月条にみえる屯倉。同書によると筑紫君磐井の乱ののち、磐井の息子である葛子が贖罪のために献上したという。六世紀に入り当屯倉をはじめとして地方豪族から献上されたものが多く見受けられるようになる。またいわゆる那津なのつ官家(現福岡市博多区)修造に際して、筑紫・肥・豊三国の屯倉の稲穀が集められており(同書宣化天皇元年五月一日条)、当屯倉からも運ばれたと推測される。なお磐井の乱を鎮圧した中心人物が物部麁鹿火であったことから、糟屋屯倉の管理は物部連―舂米連(同書によると天武天皇一三年一二月に宿禰賜姓)というラインで行われていたと想定する説がある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「糟屋屯倉」の意味・わかりやすい解説

糟屋屯倉 (かすやのみやけ)

《日本書紀》継体22年(528)12月条にみえるみやけ。それによると,527年,筑紫国造磐井(いわい)が反乱をおこしたが,大将軍物部麁鹿火(あらかび)によって528年11月に討伐された。その子の葛子が,父に連座して誅せられることをおそれて,死罪を贖うためにこのみやけを献上したという。贖罪のための献上というのは倭政権側の立場からの潤色の可能性が強く,現実には,磐井との戦いに勝利した倭政権が,残存勢力を押さえてみずからの支配を強化するために,筑紫君の支配領域内の東部地域に設定したものと考えるべきであろう。したがって,〈献上〉の時期を継体22年12月の時点と見る必要はないが,磐井の乱終息後これに近い時期のことであったと思われる。その所在地は筑前国糟屋郡内と考えられるが,その規模や郡内のいずこかは明らかでない。
磐井の乱 →屯倉(みやけ)
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