日本大百科全書(ニッポニカ) 「麋竺」の意味・わかりやすい解説
麋竺
びじく
(?―220?)
中国、三国蜀(しょく)の官僚。字(あざな)は子仲(しちゅう)。東海(とうかい)郡胊(く)県(江蘇(こうそ)省連雲港(れんうんこう)市)の人。徐州牧(じょしゅうぼく)の陶謙(とうけん)に召されて別駕従事(べつがじゅうじ)(筆頭補佐官)となり、徐州の支配を支えた。陶謙が曹操(そうそう)の父を殺害したため、攻め寄せた曹操の大軍と戦うなか、麋竺は、援軍に来ていた劉備(りゅうび)に徐州を譲れという陶謙の遺命により、劉備を徐州に招き入れた。やがて、呂布(りょふ)により徐州を奪われ、妻子を捕虜にされた劉備に、麋竺は妹を嫁がせ、奴僕(ぬぼく)2000人・金銀貨幣などを提供し、劉備の経済的な基盤を支えた。曹操は、資産家として有名な麋竺を瀛郡太守(えいぐんたいしゅ)に任命し、劉備から引き離そうとしたが、麋竺は官を辞し、劉備に従って各地を転々とした。麋竺は人を統率することが苦手で、軍を任されたことは一度もない。それでも、劉備が益州(えきしゅう)を平定して蜀を建国すると、安漢将軍(あんかんしょうぐん)に任命され、その席次は軍師将軍(ぐんししょうぐん)の諸葛亮(しょかつりょう)(孔明(こうめい))より上であった。これによって劉備は、股肱(ここう)となり経済的に支えてくれた麋竺の功績を表現したのである。
[渡邉義浩]
『小出文彦監修『三国志人物事典』(1999・新紀元社)』