麻生健次(読み)アソウ ケンジ

新撰 芸能人物事典 明治~平成 「麻生健次」の解説

麻生 健次
アソウ ケンジ


職業
舞踊家

別名
初名=謙三

生年月日
大正3年

出生地
大分県 東飯田村(九重町)

学歴
日本大学芸術科卒

経歴
在学中、東京童話劇協会で活動。日本舞踊家の花柳珠美に師事する一方で、洋舞の研究も進めた。長兄の死によって帰郷を余儀なくされるが、舞踏への志は捨てず、地元の子どもたちに踊りを教え、昭和9年別府で麻生かげろう舞踊会を結成。さらに童心芸術研究会や麻生健次舞踏研究所を設立し、日本舞踊に洋舞を取り入れた独自の踊りの追求普及に努めた。

没年月日
昭和18年 7月 (1943年)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「麻生健次」の解説

麻生 健次
アソウ ケンジ

昭和期の舞踊家



生年
大正3(1914)年

没年
昭和18(1943)年7月

出生地
大分県東飯田村(現・九重町)

学歴〔年〕
日本大学芸術科卒

経歴
在学中、東京童話劇協会で活動。日本舞踊家の花柳珠美に師事する一方で、洋舞の研究も進めた。長兄の死によって帰郷を余儀なくされるが、舞踏への志は捨てず、地元の子供たちに踊りを教え、昭和9年別府で麻生かげろう舞踊会を結成。さらに童心芸術研究会や麻生健次舞踏研究所を設立し、日本舞踊に洋舞を取り入れた独自の踊りの追求と普及に努めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「麻生健次」の解説

麻生健次 あそう-けんじ

1914-1943 昭和時代前期の舞踊家。
大正3年生まれ。日大在学中,東京童話劇協会にくわわり,また日本舞踊を花柳(五条)珠実(たまみ)にまなぶ。長兄の死で郷里大分県にかえり,別府市に麻生かげろう舞踊会,大分市に麻生健次研究所を設立。子どもに歌や踊りをおしえ,県内を巡回公演した。昭和18年7月死去。30歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android