日本歴史地名大系 「黄海城跡」の解説 黄海城跡きのみじようあと 岩手県:東磐井郡藤沢町黄海村黄海城跡[現在地名]藤沢町黄海 本町二日町(ふつかまち)の南方、黄海川南岸の丘にある。深堀(ふかぼり)館ともよばれる。丘下には本町(もとまち)・町田(まちだ)・古町(ふるまち)・下宿(しもしゆく)の地名が残り、この一帯が黄海の中心部であったが、度重なる水害により河道が変わり、北方二日町に中心が移ったといわれる。「仙台領古城書上」では城主は千葉新右衛門と記し、「黄海村安永風土記」では葛西家臣深堀新右衛門とする。深堀氏については未詳のところが多く、文亀―天文(一五〇一―五五)頃の居城は西方漆崎(うるしざき)の熊館(くまだて)城と伝える。永正一八年(一五二一)八月からの葛西宗清と山内定通の合戦では、同月一九日黄海などの軍勢二千余騎が柳沢(やなぎさわ)・太田(おおた)(現宮城県気仙沼市)に出陣している(「永正年間戦乱記」人首菊池文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by