日本大百科全書(ニッポニカ) 「黒人集会運動」の意味・わかりやすい解説
黒人集会運動
こくじんしゅうかいうんどう
Negro Convention Movement
アメリカ合衆国において自由黒人(奴隷身分でない黒人)が、地方、州、全国的規模の各種集会を開いて、彼らの地位向上と奴隷制廃止のために闘った、黒人自身による民衆運動。1817年1月、設立直後のアメリカ植民協会に反対して、リッチモンドやフィラデルフィアで大衆的抗議集会がもたれたのが始まりである。
1830年には、リチャード・アレンらを中心に、7州からの各界代表――「フォーティ・インモータルズ(不滅の40人)」とよばれている――がフィラデルフィアに集まり最初の全国大会が開かれた。以後、頻繁に年次大会も各地で開催され、集会運動は南北戦争に先だつ10年間に最盛期を迎えた。なかでも意義深い集会の一つは1853年のロチェスター大会だったが、114人の代表が参集したこの大会で全国黒人協議会が結成されるとともに、自由黒人の窮状とその改善を強く訴えた「アメリカ国民への呼びかけ」が発せられた。
集会運動を通して、彼らは、なによりもアメリカ植民協会に代表される自由黒人のアフリカ送還=海外追放に反対したばかりでなく、アメリカ人としての自覚のもとに、黒人の市民的諸権利の実現と奴隷制度の無条件廃止を要求した。このような自由黒人の活動は、たとえば植民協会に対するギャリソンの考え方に根本的変化を与えるなど、白人の奴隷制廃止論者にも大きな影響を及ぼし、奴隷制廃止運動の重要な一翼を担った。
[本田創造]