日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギャリソン」の意味・わかりやすい解説
ギャリソン
ぎゃりそん
William Lloyd Garrison
(1805―1879)
アメリカ合衆国の奴隷制廃止運動家。マサチューセッツ州ニューベリーポート生まれ。1818年同地の『ヘラルド』紙の印刷見習い工となり、以後数紙の編集に携わった。28年クェーカー教徒の奴隷制廃止運動家ランディBenjamin Lundy(1789―1839)と出会い、深い影響を受けて、彼の『普遍的解放の精神』紙の共同編集者となり、奴隷制廃止運動に一生を捧(ささ)げる決意をする。しかし穏健なランディとしだいに相いれなくなり、彼と別れて、31年ボストンで『解放者』The Liberatorを発刊、奴隷制の即時無条件廃止を主張した。翌年ニュー・イングランド奴隷制反対協会を組織、また『アフリカ植民に関する見解』を著して、自由黒人のアフリカ植民運動を進めるアメリカ植民協会を批判した。33年には訪英、帰国後アメリカ奴隷制反対協会の結成に参加した。彼の徹底した非妥協的な主張は、多くの信奉者を生んだ反面、奴隷制の問題に消極的な教会や、連邦憲法までも、奴隷制を擁護するものとして非難したため、穏健な運動家を遠ざけることとなった。また奴隷制廃止運動がしだいに政治化していくなかで、あくまでも道徳的説得主義に固執したため、40年にはアメリカ奴隷制反対協会の分裂を招いた。彼はまた、南北戦争に至るまで、奴隷制南部からの分離を主張し、戦後は、女性参政権運動や禁酒運動にも力を尽くし、1879年5月24日、ニューヨークで世を去った。
[竹本友子]
『山本幹雄著『異端の説教師ギャリソン――ひとつのアメリカ史診断』(1989・法律文化社)』