黒俣村(読み)くろまたむら

日本歴史地名大系 「黒俣村」の解説

黒俣村
くろまたむら

[現在地名]静岡市黒俣・小布杉こぶすぎ

藁科わらしな川の支流黒俣川の上流に位置し、東は相俣あいまた村。領主安西外あんざいそと新田と同じ。六兵衛組・清左衛門組(黒俣本村)・太郎右衛門組(久能尾組)・庄左衛門組(峯山組)に分れ、それぞれに名主がいたという。寛文一〇年(一六七〇)検地帳(梶山文書)に「久能尾村主 七郎左衛門」の名がみえる。なお延宝五年(一六七七)の久能尾村検地帳写手前分(同文書)からは、久能尾きゆうのお庄屋太郎右衛門の持高が久能尾の村高の半分を占め、山林の大部分を所有していたことが知られる。元禄郷帳では高四七八石余。旧高旧領取調帳では太郎右衛門組一〇〇石余・清左衛門組一〇一石余・六兵衛組一一三石余・庄左衛門組一六二石余、ほかに太郎右衛門組に盤竜ばんりゆう(現曹洞宗)除地五斗がある。


黒俣村
くろまたむら

[現在地名]黒川村黒俣

胎内たいない連山の山間部にあり、村央を黒俣川が北流し、東をまつ木田きた川が流れて黒俣川に合流する。西は尾根を隔てて持倉もちくら村、北は川伝い大長谷おおながたに村に接する。元徳三年(一三三一)一二月一九日の鎌倉幕府引付頭人(北条俊時)奉書(三浦和田氏文書)によれば、「黒俣」など奥山おくやま庄内六ヵ所をめぐって海老名忠顕と和田(黒川)章連が相論し、忠顕は黒俣などは望倉もちくら(持倉)のうちと、章連は長谷ながたにのうちであると主張している。結果は不明だが、元弘三年(一三三三)章連が安堵を申請した本領一〇ヵ所のうちに黒俣は記されていない(同年九月黒川章連申状写「奥山庄史料」所収中条文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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