黒津浜
くろづはま
瀬田川・大戸川舟運の拠点の一つで、下流筋の関津浜とともに膳所藩公認の積荷浜。大日山の麓の地先にあることから大日尾崎浜とも称した。膳所藩の成立に伴い整備されたと考えられるが、当地が中世すでに船をもち、政治・軍事上重視されていたことが中世史料からうかがえる。近世、田上・上田上一帯と瀬田を結ぶ要湊で、慶長六年船数帳・慶安四年丸船改帳には直接に地名がみえないが、瀬田川内船として川船・猟船合せ三〇船などとあり、延宝九年船数帳では黒津分として川船四(一人加子)、別に川船七(二人加子四・一人加子三)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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