龍花庄(読み)りゆうげのしよう

日本歴史地名大系 「龍花庄」の解説

龍花庄
りゆうげのしよう

比良山系に属する霊仙りようぜん(七五〇・八メートル)の麓をめぐって琵琶湖に注ぐ和邇わに川に沿って開ける。龍華りゆうげ庄とも。「輿地志略」は龍花を栗原くりはら(現志賀町)途中とちゆう村・龍花村の惣名とする。北は木戸きど(現志賀町)および葛川かつらがわ、南は伊香立いかだち庄などに接し、庄内龍華越の道が東西に走る。鎌倉時代には、陰陽道をもって朝廷に仕えていた安倍氏が当庄の下司職を相伝していたようで、寛喜元年(一二二九)六月二四日、陰陽頭安倍泰忠の訴えを入れ、幕府は江兵衛尉為清の「龍花庄下司職」に対する濫妨を停止している(「関東御教書案」・同年七月一九日「六波羅施行状案」土御門文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む