龍華越(読み)りゆうげごえ

日本歴史地名大系 「龍華越」の解説

龍華越
りゆうげごえ

近江湖西と京都を結ぶ間道途中とちゆう(橡生越)山城やましろ越ともいう。山城大原おおはら小出石こでし(現京都市左京区)から途中峠を越え、途中集落より東進、還来もどろき神社で北側の和邇わに(現滋賀郡志賀町)方面に至る道と、南側の真野まの方面に至る道に分れる。後者の道より中途で分岐し、伊香立いかだち峠を越えて京都に入る道は、伊香立越と称される。途中集落から北に進路を取れば若狭街道となる。「文徳実録」天安元年(八五七)四月二三日条に「始置近江国相坂・大石・龍花等三処之関、分配国司健児鎮守之」とみえ、この地に関所が設置され、健児によって守備されている。

龍華越
りゆうげごえ

京都から大原おおはら小出石こでしを経て北に向かう若狭街道の、山城と近江の国境付近。峠を越えた途中とちゆう(現大津市)の集落で、南東の近江国龍華(現大津市)に向かう道と、若狭に向かう道が分れる。山城やましろ峠また途中峠とも称す。

古く龍華越は山城と琵琶湖西岸の小野おの和邇わにの地(現大津市)や、北国を結ぶ重要な路として利用されたらしい。「文徳実録」天安元年(八五七)四月二三日条には「始置近江国相坂・大石・龍花等三処之関、分配国司健児等鎮守之」とみえ、関所を設け、健児等をして守衛させている。また「延喜式」巻四〇「主水司」に、氷室の設けられた地として「近江国志賀郡部花一所、三丁輸一駄」と記されるが、この部花は「江次第」によれば龍華のことである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報