上山村上分(読み)かみやまむらかみぶん

日本歴史地名大系 「上山村上分」の解説

上山村上分
かみやまむらかみぶん

[現在地名]神山町上分

上山村下分の西、鮎喰あくい川上流域を占める。西は美馬みま川井かわい(現木屋平村)、南は那賀なか沢谷さわだに(現木沢村)、北は壁岩かべいわ峠などを経て麻植おえ別枝山べつしやま(現美郷村)中世大粟おおあわ(大粟郷)のうち。近世初期には上山村下分と一括されて上山村であったが、延宝三年(一六七五)に上分と下分とに分れた(「上山村上分棟付帳」粟飯原家文書など)。天正一三年(一五八五)蜂須賀家政入国にあたり、大粟山の在地名主などによる一揆が起こり、鎮圧に当たっていた兼松惣右衛門(惣左衛門とも)金泉かねいずみで討たれた。惣左衛門の墓所は同所寺久保てらくぼにあるという(「伊沢文三郎系図」阿波国古文書)

慶長一三年(一六〇八)五月一一日の大粟谷上山分検地帳(大粟家文書)によると、四村(四ヵ所)に分けて反別・分米が記されている。江畠えばたけ村・遊子天村・池内村・不天村分は田六六畝余・分米一石余、畠一五町八反余・分米二八石余、居屋敷一反余・分米一石余、家数九・人数一〇(上本百姓一・中本百姓一・上名子一・下家持下人三・上家持下人一・上間人一・年寄一・同家下人一)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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