上直竹村(読み)かみなおたけむら

日本歴史地名大系 「上直竹村」の解説

上直竹村
かみなおたけむら

[現在地名]飯能上直竹上分かみなおたけかみぶん上直竹下分かみなおたけしもぶん

直竹川の上流、下直竹村の西に位置する。当地富士浅間ふじせんげん神社に残る正保三年(一六四六)銘の鰐口に「武州杣保内間野村木崎弥右衛門奉納」とあり、当地の小字に間野まのがあることから、かつて当地はそま保に属していたとも考えられる。江戸時代初頭は下直竹村とともに直竹村一村であった。田園簿に上直竹村がみえ、高は田方八石余・畑方一三四石余、幕府領寛文八年(一六六八)検地があり、同九年の年貢割付状では、村は権右衛門分(上分)と七左衛門分(下分)に分割されていたという(「上直竹上分村誌料」飯能市蔵)。国立史料館本元禄郷帳では幕府領。寛政一一年(一七九九)の村明細帳(木崎家文書)によると家数三二・人数一八八。耕地の少ない谷間の村で、作物も猪・鹿に荒され、夫食の三分の二は買米によるという。農間には男は炭焼木挽、女は俵・木綿縞・太布等を織った。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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