富士浅間神社(読み)ふじせんげんじんじや

日本歴史地名大系 「富士浅間神社」の解説

富士浅間神社
ふじせんげんじんじや

[現在地名]小山町須走

富士山登山道東口(須走口)の登山口にある。祭神は木花開耶姫命・大己貴命・彦火火出見命の三神。脇宮に日枝神社・山神社・琴平ことひら神社・高尾たかお神社・雲霧くもきり神社・社護しやご神社・祖霊それい社と恵比寿・大黒天を祀る裏神があり、境外末社として野中のなか神社・御室おむろ神社・古御嶽こみたけ神社・胎内たいない神社がある。旧県社。社記によれば、大同二年(八〇七)創建と伝え、古来富士東口本宮と称し、社地は延暦年中(七八二―八〇六)の富士噴火の際、国司たちが鎮火祭事を執行したところという(駿東郡志)。元亀二年(一五七一)四月二一日、武田信玄は富士北室の小佐野越後守に「駿州洲走之浅間之宮」とおかの(現沼津市)祭祀や社務を命じている(「武田家朱印状」富士御室浅間神社文書)

富士浅間神社
ふじせんげんじんじや

[現在地名]藤岡市藤岡

宮本みやもと町にある。祭神は木花開耶姫命。旧村社。享和三年(一八〇三)の縁起書によると元亀元年(一五七〇)芦田右衛門が建立、六反七畝余を寄進し、藤岡の総鎮守としたという。別当は広瀬氏が勤めた。また天保年間(一八三〇―四四)の「高井乙布手記」には日蓮が鎌倉下向の折、八軸の経を納め富士浅間を勧請したとある。文化元年(一八〇四)本殿幣殿改築(棟札)、安政七年(一八六〇)に再度の社殿改築がなされる(寄付帳)。慶応二年(一八六六)玉石垣・石段を新設、翌年には神楽殿が建つ(寄進控帳)

富士浅間神社
ふじせんげんじんじや

[現在地名]東郷町春木 狐塚

祐福寺ゆうふくじ集落北方、浅間の森にある。祭神は木之花佐久夜毘売之命。「延喜式」神名帳の伊副いふく神社に比定する説もあるが、明らかでなく、社殿も永禄三年(一五六〇)桶狭間おけはざまの戦のときに全焼したと伝えられる。「徇行記」に「東西四町南北三町除地」、「府志」に「祭礼毎歳五月二十八日祐福寺僧会之誦大般若経」とあり、祐福寺の奥院として崇敬された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「富士浅間神社」の意味・わかりやすい解説

富士浅間神社
ふじせんげんじんじゃ

(1) 静岡県小山町須走に鎮座する元県社。須走浅間神社ともいう。祭神はコノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫),オオナムチノミコト,ヒコホホデミノミコト(彦火火出見尊)例祭 5月4~6日。富士開山祭,閉山祭で知られる。2013年世界遺産文化遺産登録
(2) 山梨県富士河口湖町勝山に鎮座する元県社。冨士御室浅間神社。祭神はコノハナノサクヤヒメ。例祭 9月9日。2013年世界遺産の文化遺産に登録。

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