日本歴史地名大系 「上竹原郷」の解説
上竹原郷
かみたかわらごう
中世の阿蘇谷の西郷中の小郷。治承二年(一一七八)三月一三日の阿蘇社宮師僧長慶譲状案(阿蘇家文書)の「一所一丁内二段三御宮
建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇家文書)には、下田常陸介が郷沙汰人である西郷中の小郷として「一所四十町 上竹原郷」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中世の阿蘇谷の西郷中の小郷。治承二年(一一七八)三月一三日の阿蘇社宮師僧長慶譲状案(阿蘇家文書)の「一所一丁内二段三御宮
建武三年(一三三六)三月一一日の阿蘇社領郷村注文写(阿蘇家文書)には、下田常陸介が郷沙汰人である西郷中の小郷として「一所四十町 上竹原郷」とみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
日本の上代芸能の一つ。宮廷で舞われる女舞。大歌 (おおうた) の一つの五節歌曲を伴奏に舞われる。天武天皇が神女の歌舞をみて作ったと伝えられるが,元来は農耕に関係する田舞に発するといわれる。五節の意味は...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新