今村 方策(読み)イマムラ ホウサク

20世紀日本人名事典 「今村 方策」の解説

今村 方策
イマムラ ホウサク

昭和期の陸軍大佐



生年
明治33(1900)年1月4日

没年
昭和24(1949)年4月24日

出身地
宮城県仙台市

学歴〔年〕
陸軍士官学校〔大正10年〕卒

経歴
野砲学校教官、山砲連隊中隊長から昭和17年8月、関東軍参謀部付。20年の終戦時、中国山西省にいた今村は、閻錫山要請で、日本軍1個師団とともに合体して共産軍に対抗した。しかし24年4月、敗れて首都太原を開城、事は終わった。山西省政府顧問補佐の城野宏は、再起を図ったが今村は「軍人のおれにはできない、後は頼む」と言い残し、4月24日服毒自決した。自決軍人の最後の一人。陸軍大将今村均の弟。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「今村 方策」の解説

今村方策 いまむら-ほうさく

1900-1949 昭和時代の軍人。
明治33年1月4日生まれ。今村均(ひとし)の弟。昭和20年陸軍大佐,独立混成第三旅団長として中国山西省を転戦。敗戦後,同省を支配していた閻錫山(えん-しゃくざん)の要請に応じて人民解放軍とたたかい敗北。昭和24年4月24日収容所で自殺した。50歳。宮城県出身。陸軍士官学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「今村 方策」の解説

今村 方策 (いまむら ほうさく)

生年月日:1900年1月4日
昭和時代の陸軍軍人
1949年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報