吉住 留五郎(読み)ヨシズミ トメゴロウ

20世紀日本人名事典 「吉住 留五郎」の解説

吉住 留五郎
ヨシズミ トメゴロウ

昭和期の海軍特務機関員 インドネシア独立闘争に参加



生年
明治44(1911)年2月9日

没年
昭和22(1947)年8月10日

出生地
山形県鶴岡市

経歴
中学校を7年かかって卒業できず、教師を殴って放校された。社会主義的な本に親しみ、農民運動に参加、警察にマークされ昭和7年ジャワに渡った。雑貨店に勤めたが、帰国して再渡航、右翼系の日本語新聞の記者となった。インドネシア独立を支持したが、右翼的な考えを持ち、軍の南進論を支援、12年ごろから軍の中国人工作に従い、16年オランダ当局から追放されて帰国。同年台湾からスマトラ近くへ密航、オランダ官憲に逮捕されオーストラリアに抑留された。17年捕虜交換で帰国、スラウェンで海軍特務機関に勤めた。19年海軍武官府に移った。敗戦後、インドネシア独立軍に参加、ゲリラ戦に加わったが、東部ジャワの山中病死した。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「吉住 留五郎」の解説

吉住留五郎 よしずみ-とめごろう

1911-1947 昭和時代前期の特務機関員。
明治44年2月9日生まれ。昭和7年インドネシアのジャワにわたり,日本語新聞の記者になってオランダの植民地主義非難。のちスラウェシ島の海軍特務機関,ジャカルタの海軍武官府につとめた。戦後インドネシア独立軍に参加,22年8月10日東部ジャワの山中で病死。37歳。山形県出身。

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367日誕生日大事典 「吉住 留五郎」の解説

吉住 留五郎 (よしずみ とめごろう)

生年月日:1911年2月9日
昭和時代の特務機関員
1947年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報