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南進論 なんしんろん

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

南進論
なんしんろん

第2次世界大戦前の日本近代史における外交政策についての議論。日本が東南アジアなど南方に経済的,政治的,武力的進出を行うべきだという論で,朝鮮,満州方面に発展しようとする北進論と対立した。南進論の萌芽はすでに 1890年代からみられたが,明治・大正期の南進論は経済進出の側面に重点がおかれ,関心は軍事的側面に重点がおかれていた北進論よりは少なかったといえる。 1936年8月7日の内閣総理大臣および外務,陸軍海軍,大蔵の5相会議で国策基準として南方進出が決定され,南進論は日本の外交方針となった。さらに 40年にいたりヨーロッパ戦線でドイツが圧倒的勝利を収めると,石油,アルミニウム,ゴムなどを求めて,武力行使による南進の主張が強まった。その結果,北部仏印進駐南部仏印進駐など武力南進政策が強行され,南進論は太平洋戦争開始の重要な引き金の役割を果すことになった。

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百科事典マイペディアの解説

南進論【なんしんろん】

日本の海外発展を中国南部,東南アジアなど南方諸地域に求める主張。日清戦争後は台湾を拠点としての経済的発展が重視され,日中戦争後は軍需資源,特に石油確保のための南進論が台頭,大東亜共栄圏を唱え,仏印進駐を行って英米と対立,太平洋戦争へ突入した。
→関連項目菅沼貞風広田弘毅内閣北進論

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世界大百科事典 第2版の解説

なんしんろん【南進論】

日本は15年戦争期において,南方に進出し大東亜共栄圏を建設することによって不足がちの資源を確保し,自給自足地帯をつくろうとした考え方。南進政策ともいう。しかし南進論そのものは,日清戦争以前からあった。それは志賀重昂の《南洋事情》(1887),菅沼貞風の《新日本の図南の夢》(1888),田口卯吉の《南洋経略論》(1890)など,ヨーロッパ列強のアジア進出に対抗して,南進の要を説くものであった。その後竹越与三郎《南国記》(1910)によってふたたび南進ブームが生まれたが,1930年代までの南進の実情は,〈からゆきさん〉,呉服,医療薬品などの販売事業,マニラ麻事業,ゴム園経営などが主であった。

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大辞林 第三版の解説

なんしんろん【南進論】

日中戦争開始後、陸軍の北進論に対抗して、海軍を中心に唱えられた、軍需物資を南方進出によって確保しようとする議論。第二次大戦中、1940年(昭和15)の北部仏印進駐として具体化された。

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世界大百科事典内の南進論の言及

【北進論】より

…しかし日本の国策を導いたのは北進論のみではなかった。日清戦争後に始まる台湾の植民地経営や中国福建省への勢力拡大,南洋諸島の委任統治にみられるように国策を導くもう一つの主張は南進論であった。しかし日本の南進政策は主として経済活動や移民による日本人町の形成など平和的手段をとり,そこに武力を背景とする北進論と南進論の大きな相違があった。…

※「南進論」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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