日本は15年戦争期において,南方に進出し大東亜共栄圏を建設することによって不足がちの資源を確保し,自給自足地帯をつくろうとした考え方。南進政策ともいう。しかし南進論そのものは,日清戦争以前からあった。それは志賀重昂の《南洋事情》(1887),菅沼貞風の《新日本の図南の夢》(1888),田口卯吉の《南洋経略論》(1890)など,ヨーロッパ列強のアジア進出に対抗して,南進の要を説くものであった。その後竹越与三郎《南国記》(1910)によってふたたび南進ブームが生まれたが,1930年代までの南進の実情は,〈からゆきさん〉,呉服,医療薬品などの販売事業,マニラ麻事業,ゴム園経営などが主であった。唯一の例外は石原産業によるマレー鉄鉱石の輸入で,1926年ころには日本の鉄鉱石輸入の半分近くを占めるまでになった。その経営者である石原広一郎は,《南日本の建設》などを刊行して南方の重要性を説き,大川周明ら右翼団体とも接触を保った。しかし日本にとって日中戦争以前における南方の位置は,経済的にもイデオロギー的にも,軍事的・政治的にもそれほど高いものではなかった。むしろ,海軍が陸軍の北進論に対抗するために国策として〈南進論〉を主張しはじめたのが,ひとつの転換点になったといえよう。すなわち海軍は,アメリカの海軍拡充に対抗して軍備充実計画を促進するために南進論を強く主張し,36年8月広田弘毅内閣の〈国策の基準〉では,北進とともに漸進的・平和的南方進出を挿入させた。その後,日中戦争の華南方面への拡大に従って武力南進論が促進されてきた。
1940年に入ると,日中戦争の膠着状態が打開できないなかで,第2次世界大戦の勃発によってアメリカなどの対日禁輸が強化されたため,政府部内ににわかに石油,鉄鉱石などの資源を求めての南進論が強まった。海軍の軍事行動の前提としての石油資源の確保,企画院の生産力拡充計画の隘路(あいろ)である軍需産業基礎資源の確保などのため,安定した自給圏の範囲をそれまでの日満支ブロックから,南方を含む〈大東亜共栄圏〉に拡大することがめざされたのである。この南進政策は,米内光政内閣末期から陸軍,海軍,外務省などの事務当局によって協議が重ねられ,40年7月の第2次近衛文麿内閣の成立直後に決定された〈世界情勢の推移に伴う時局処理要綱〉において,〈好機ヲ捕捉シ之カ推進ニ努ム〉ことが決定された。この決定を受けて,同年9月には北部仏印進駐がおこなわれた。政府はその後,〈対蘭印経済発展のための施策〉〈対仏印・泰施策要綱〉〈対南方施策要綱〉を相次いで決定した。さらに41年6月には大本営政府連絡会議で,〈仏印に進駐してこそゴムも錫もとれる〉とする総帥部の意見に沿って〈南方施策促進に関する件〉を決定し,7月に日本軍は南部仏印に上陸したのである。アメリカはこれに反発して,石油の対日輸出を全面禁止した。日本は石油輸入量の3分の2をアメリカに依存していたので,この措置により政府は短絡的に南方への全面進出と対英米戦を辞さずとする結論を導き出していった。南進政策は太平洋戦争勃発の重要な要因となった。ここでの〈南進〉とは,武力進駐であり,軍政をしくなかで資源収奪をおこなうことであった。しかし陸海軍が期待した石油の確保も,海上輸送が困難な戦況のなかでは,ほとんど計画だおれに終わったのである。
執筆者:芳井 研一
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太平洋の南洋諸島を勢力範囲に収めようとする,海軍主導の近代日本の海洋国家論・軍事戦略。日露戦後の太平洋における日米海軍問題に端を発し,当初は貿易関係の強化をめざす平和的進出論が多かった。ワシントン体制下では顕在化せず,1930年(昭和5)のロンドン海軍軍縮会議を契機とする艦隊派の勢力拡大,36年の国策の基準,ワシントン・ロンドン海軍軍縮条約の失効などにより,南方の戦略物資の獲得,作戦基地の確保という観点から再び浮上した。日米関係の悪化,太平洋戦争勃発の過程では大東亜共栄圏構想をうみだす一因となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…しかし日本の国策を導いたのは北進論のみではなかった。日清戦争後に始まる台湾の植民地経営や中国福建省への勢力拡大,南洋諸島の委任統治にみられるように国策を導くもう一つの主張は南進論であった。しかし日本の南進政策は主として経済活動や移民による日本人町の形成など平和的手段をとり,そこに武力を背景とする北進論と南進論の大きな相違があった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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