寺下 力三郎(読み)テラシタ リキサブロウ

20世紀日本人名事典 「寺下 力三郎」の解説

寺下 力三郎
テラシタ リキサブロウ

昭和・平成期の政治家 元・六ケ所村(青森県)村長



生年
大正1(1912)年8月11日

没年
平成11(1999)年7月30日

出生地
青森県上北郡六ケ所村

学歴〔年〕
青森県蚕業試験場講習科〔昭和4年〕卒

主な受賞名〔年〕
田尻賞(第2回)〔平成5年〕,多田謡子反権力人権基金人権賞(第8回)〔平成8年〕

経歴
昭和4年以後、岩手、栃木両県下で蚕業指導員。14年朝鮮に渡り、朝鮮窒素で実験工として働く。帰国後、15年郷里・六ケ所村書記となり、35年助役を経て、44年村長に当選。同年発表された“むつ小川原開発”計画反対の先頭に立って活動。48年の村長選では、開発推進派の候補に敗れ、落選。続く核燃料サイクル事業でも反対運動の先頭に立った。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「寺下 力三郎」の解説

寺下 力三郎
テラシタ リキサブロウ


肩書
元・六ケ所村(青森県)村長

生年月日
大正1年8月11日

出生地
青森県上北郡六ケ所村

学歴
青森県蚕業試験場講習科〔昭和4年〕卒

経歴
昭和4年以後、岩手、栃木両県下で蚕業指導員。14年朝鮮に渡り、朝鮮窒素で実験工として働く。帰国後、15年郷里・六ケ所村書記となり、35年助役を経て、44年村長に当選。同年発表された“むつ小川原開発”計画反対の先頭に立って活動。48年の村長選では、開発推進派の候補に敗れ、落選。続く核燃料サイクル事業でも反対運動の先頭に立った。

受賞
田尻賞(第2回)〔平成5年〕 多田謡子反権力人権基金人権賞(第8回)〔平成8年〕

没年月日
平成11年7月30日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「寺下 力三郎」の解説

寺下力三郎 てらした-りきさぶろう

1912-1999 昭和-平成時代の政治家。
大正元年8月11日生まれ。岩手県などで蚕業指導員をつとめ,昭和15年郷里青森県六ケ所村の書記となる。助役をへて44年村長。むつ小川原開発の反対運動を展開したが,48年の村長選で推進派に敗れた。平成5年田尻賞。平成11年7月30日死去。86歳。青森県蚕業試験場講習科卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「寺下 力三郎」の解説

寺下 力三郎 (てらした りきさぶろう)

生年月日:1912年8月11日
昭和時代;平成時代の政治家。六ケ所村(青森県)村長
1999年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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