手久津久村(読み)てぃーどくむら

日本歴史地名大系 「手久津久村」の解説

手久津久村
てぃーどくむら

[現在地名]喜界町手久津久てくづく

荒木あらち村の南東に位置し、南部は海に面する。荒木間切のうちで、ティードクなどという。伝承によれば、琉球の朝戸瀬戸・万の瀬戸という兄妹二神が漂流して当地沖のウガミ礁に掛かり、ハマンカー(小さい浜)着岸、山手のデーバヤーという林の中に夫婦として住んでいたが、のち現在の手久津久集落の辺りに移住して開拓を始め、やがて島建て加那志とよばれるようになったという。海の神・漁の神とされるこの二神の墓はデーバヤーに設けられたが、のち村中央の朝戸あさと神社の境内に移された。ノロの祭場ミヤでは動物供犠の儀礼であるハラタミが行われていた。元禄五年(一六九二)喜界島帳留(列朝制度)に荒木間切与人のとして「手久津村」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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