喜界島(読み)キカイジマ

デジタル大辞泉 「喜界島」の意味・読み・例文・類語

きかい‐じま【喜界島】

鹿児島県南部、奄美あまみ大島の東方にある島。大島郡喜界町をなす。面積60平方キロメートル。サトウキビサツマイモの栽培が盛ん。

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精選版 日本国語大辞典 「喜界島」の意味・読み・例文・類語

きかい‐じま【喜界島】

  1. 鹿児島県、奄美大島東方にある島。全島で喜界町を形成する。大部分が隆起サンゴ礁からなり、海岸には裾礁(きょしょう)が発達。サトウキビの栽培を主とする。

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日本歴史地名大系 「喜界島」の解説

喜界島
きかいじま

奄美諸島の北東部、大島の東に位置する島。一島すべて喜界町の町域となっている。喜界のほか鬼界・奇界などとも記された。「海東諸国紀」の琉球国之図に「鬼界島 属琉球 去上松二百九十八里去大島三十里」と記されている。「上松」は肥前国上松浦かみまつらであろう。「中山世譜」首巻によれば,琉球三十六島のうちとして奇界(俗に鬼界)と記され、「球陽」巻二では鬼界とある。鬼界島の表記は、元禄六年(一六九三)の大島代官猪俣休右衛門に宛てた覚書(列朝制度)に「大島之内鬼界島」とみえ、享保元年(一七一六)頃の代官南雲順右衛門宛覚書(同書)でも同様であり、少なくとも一八世紀初めまでは公的にも通用していた。「三州御治世要覧」では「道之島五島」のうちとしている。沖永良部おきのえらぶ島の屋母子よーむ(現知名町)のユタから口伝された祝詞「シマタティシンゴ」(島建てぃしんご)に、造られた島々に嶽を置いたとして「喜界ききやはウルシ嶽に」などとあり、キキャとよばれていた。

〔位置と自然的条件〕

大島の東約二五キロ、北緯二八度二三分付近から同一六分付近にかけて位置する。島の長軸は北東―南西に延び、約一三キロ、最大幅は南部で約六・五キロ、面積は五六・八七平方キロ。最高点は百之ひやくの台で標高二二四メートル。南東部には約六キロに及ぶ二〇〇メートル前後の比高をもつ崖が海岸から一キロほど内側に形成され、百之台へと続いている。島の北東部には三〇メートル程度の低位段丘を挟み、中位段丘面が広く分布する。南東部にはところどころに砂丘地が形成され、なかでも水天宮すいてんぐう山付近から北西に向かって広がる砂丘地は奄美諸島中最大の面積である。島の周囲は全面が珊瑚礁原で囲まれ、裾礁となっている。

新第三紀更新世―鮮新世にかけて堆積したと考えられる島尻層群(泥岩や砂岩・泥岩の互層)を基盤岩とし、その上を第四紀の琉球層群(石灰岩)が覆い、周囲は完新世の砂・石灰岩などからなる。年平均気温は摂氏二二・八度、同降水量は二〇四五ミリで、奄美諸島の中ではやや少な目であるが、亜熱帯海洋性の気候といえよう。植生も亜熱帯性植物が優先し、ツルザンショウなどは自生北限地に近い。珊瑚礁植物のモクビャッコウ、ミズガンピなども同様である。

〔琉球時代以前〕

喜界島は大宰府の管轄下にあり、天長元年(八二四)大隅国に編入されたというが、明らかではない。一一世紀半ばの成立とされる「新猿楽記」に「八郎ノ真人ハ、商人ノ主領ナリ(中略)東ハ浮囚ノ地に臻リ、西ハ貴賀ガ嶋ニ渡ル」とみえ、俘囚の居住する奥六郡(陸奥の北部)が東の周縁であるとしているのに対して、西の日本の果てが「貴賀ガ嶋」であるという観念がうかがえ、異国との境の内と外に通じる両属性をもった地域であったと想定できる。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「喜界島」の意味・わかりやすい解説

喜界島
きかいじま

鹿児島県奄美(あまみ)大島の東約25キロメートルにある奄美諸島の一つ。面積56.82平方キロメートル、最高点は七島鼻(しちとうばな)の211.96メートルで、扁平な島である。大島郡喜界町に属し1島1町。島軸は北東―南西に延び約13キロメートルある。島には数段の隆起サンゴ礁が段丘地形をなし、海岸部は四周を裾礁(きょしょう)で縁どられ特異な景観を呈す。島の中央部に広がる百之台(ひゃくのだい)(隆起サンゴ礁の高台地)、西部の荒木海岸、北東部の海岸(トンビ崎海岸、志戸桶(しどおけ)海岸)などが奄美群島国立公園に指定されている。亜熱帯性の気候で、年中暖かく、ガジュマルアダンなど多種の熱帯植物が茂る。地形が低平なため、奄美大島と比べて降水量が少なく、水は乏しい。農業はサトウキビの栽培が中心である。そのほか、島内の広い砂地を利用したスイカの栽培も行われるようになった。大島紬(つむぎ)や自然景観を利用した観光などが主要な産業である。住民登録人口6976(2019)、2015年の国勢調査では7212人。

[塚田公彦 2019年5月21日]

民俗

奄美諸島の民俗は一面沖縄に類似し、他面本土と一致するが、喜界島もその傾向が著しい。民間信仰の面で、シマ(集落)の祭りをノロ(祝女)が主宰し、卜占(ぼくせん)や霊媒にユタ(巫女(ふじょ))が活躍したことなど沖縄と等しい。しかし旧6月氏神の夏祭を六月灯(ろくがつどう)というのは各戸から子供の献灯があったからで、これは南九州との一致を示している。8月にはシチウンミ(節折目)からシバサシ、ドンガに至る三度の大祭が催され、盛んな八月踊りがみられることは奄美大島と同じである。しかし9月のトンニャーとよばれる行事は豊作占いの意味といわれるが、喜界島独自のものである。また源為朝(ためとも)や平家落人(おちゅうど)の伝説が島内各地にとどめられ、この島もかつて南島交通の要路にあったことを物語っている。

[竹田 旦]

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百科事典マイペディア 「喜界島」の意味・わかりやすい解説

喜界島【きかいしま】

奄美諸島(2010年3月より奄美群島)の北東部,奄美大島の東方約25kmに位置する島。古くは鬼界・奇界などとも記された。低平な台地状の島で,周囲はサンゴ礁原で囲まれる。鹿児島県喜界町をなし,面積56.76km2源為朝(ためとも)や平家の落人伝承がある。島北端部の七(なな)城跡は平資盛(すけもり)が13世紀はじめに築城したとも,15世紀後半に琉球尚徳王が築いたともいう。琉球王国の時代には志戸桶間切の大城大屋子職を補任する辞令書が発給され,東間切のノロ職を任じた辞令書も残る。1609年島津氏琉球侵攻により,鹿児島藩直轄領となる。島内は6つの間切(まぎり)に分かれていた。1879年大島郡に所属。近世以来のサトウキビ栽培を中心とする農業が基幹産業。フェリーにより奄美大島・鹿児島方面と結ばれ,喜界空港もある。
→関連項目喜界[町]薩南諸島南西諸島

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改訂新版 世界大百科事典 「喜界島」の意味・わかりやすい解説

喜界島 (きかいしま)

鹿児島県奄美大島の東方海上約25kmにある島。周囲48.6km,面積55.7km2,人口8169(2010)。1島で大島郡喜界町をなす。隆起サンゴ礁からなる低平な台地状の島で,最高所も224mに過ぎない。台地上は水に乏しいので集落は海岸近い急崖下に集まっている。気候は亜熱帯的で,全島にガジュマル,ソテツ,アダンなどが自生し,海岸にはサンゴ礁が発達する。古くから大和朝廷と交流があり,源為朝や僧俊寛が来島したと伝えられ,俊寛のものという墓もある。また戦いに敗れた平家の一門が逃れてきたといわれ,これらにまつわる伝説,故地が多い。13世紀後半から17世紀初めまでは琉球王朝に朝貢し,以後鹿児島藩直轄地となった。水稲はなくなり,農業生産の8割が畑作のサトウキビである。サトウキビは西部の工場で一手に製糖されるほか,一部は伝統の旧法による黒糖生産が行われる。第2次大戦前は馬の飼育が盛んであったが,戦後は肉牛の飼育に切りかわり,その他温暖な気候を利用しての切花,メロン,ソラマメなどの出荷が盛んになった。畑地灌漑の国営地下ダムが2003年に完成。大型フェリー,飛行機で鹿児島市や奄美大島奄美市の旧名瀬市と結ばれる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「喜界島」の意味・わかりやすい解説

喜界島
きかいしま

鹿児島県南部,奄美大島の東方約 25kmの海上にあり,琉球弧(→琉球列島)の最外縁をなす島。奄美群島で 4番目に大きい面積をもち,最高点は 224mの百之台(ひゃくのだい)。台地の面積が広く低平な島で,周辺は隆起サンゴ礁に囲まれ特有の景観を示す。赤連,湾などの集落が台地の周囲を取り巻くように散在している。1島で喜界町を構成する。島の北岸,西岸,南東岸は景勝地が多く,奄美群島国立公園に属する。面積 56.87km2,人口 9041 (2000) 。

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「喜界島」の解説

きかいじま【喜界島】

鹿児島の黒糖焼酎。酒名は、蔵がある喜界島にちなみ命名。島の天然水を用いて常圧蒸留で造る。原料は黒糖、米麹。アルコール度数20%、25%、30%。蔵元の「喜界島酒造」は大正5年(1916)創業。所在地は大島郡喜界町大字赤連。

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デジタル大辞泉プラス 「喜界島」の解説

喜界島

鹿児島県、喜界島酒造株式会社が製造する黒糖焼酎。

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世界大百科事典(旧版)内の喜界島の言及

【沖言葉】より

…海上はこの世とは別の世界であるという意識から,言葉も日常とは異なったものを用いるのであろう。鹿児島県の喜界島には,サワラ・カツオの魚をはじめ,やす・包丁・網等の漁具,風・雲・塩・水・きせるといった気象や身近なものまで特別な言葉でいい表す風習が伝えられていた。忌言葉【大嶋 善孝】。…

※「喜界島」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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