木下 東作(読み)キノシタ トウサク

20世紀日本人名事典 「木下 東作」の解説

木下 東作
キノシタ トウサク

明治〜昭和期のスポーツ評論家 大阪毎日新聞運動部長;元・大阪医科大学教授。



生年
明治11(1878)年6月

没年
昭和27(1952)年6月19日

出生地
京都

学歴〔年〕
東京帝大医科大学〔明治36年〕卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
明治36年東大医化学教室助手、39年大阪府立高等医学校(大阪医大の前身)教諭、のち教授。41年に欧州出張、帰国後大阪府下の小中学校でスポーツ選手の実技を指導、神戸高商の体育顧問、東京高師講師を務め運動生理学を講じた。大正11年大阪医科大学教授を辞任、大阪毎日新聞社に入り、運動部長。13年日本女子スポーツ連盟を設立陸上の人見絹代を育てた。15年スウェーデンの第2回女子オリンピック、昭和5年プラハの第3回、9年ロンドンの第4回各大会の団長を務めた。13年にはロンドンの国際陸上競技連盟総会に首席代表として出席。日本体育協会、大日本相撲協会、日本自転車連盟などの会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「木下 東作」の解説

木下東作 きのした-とうさく

1878-1952 明治-昭和時代の生理学者,スポーツ評論家。
明治11年6月生まれ。木下正中(せいちゅう)の弟。大正11年大阪医大教授から大阪毎日新聞社運動部長に転身。13年日本女子スポーツ連盟を設立,人見絹枝をそだてる。スポーツの世界に運動生理学をわかりやすく導入した。昭和27年6月19日死去。74歳。京都出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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